目次
戦前戦中、それまでの日本国内の警察官の恒常武装と言えば、警視庁の特別警備隊を除いて、その腰にはサーベルか短剣のみ。けん銃も配備はされていたが、通常は本署内に保管され、大多数の警ら警察官は普段からけん銃を携行しなかった。
ただ戦中であっても、当初は幹部警察官にのみ佩剣が許されており、二等巡査は警棒であった。その後、西南戦争を経て二等巡査にもサーベルの佩剣が許されたという。だが、サーベルが実際に被疑者の制圧、逮捕にどれだけ有効であったかは、人道的観点や当時の使用制限の厳しさを踏まえると議論の余地がありそうだ。
そして日本の敗戦によって連合国軍GHQ占領下による統治が始まると、日本警察は西洋ポリス化へと転進、警察官の腰道具事情も一変した。サーベルからけん銃へと警察官の個人携行武器が大きく変更されたのだ。
戦後の治安状況の著しい悪化が理由なのか、近代警察に馴染まないという理屈なのか、農家が巡査のサーベル廃止を請願したのか、GHQによって帯刀禁止命令が出され、昭和21年7月31日をもって日本警察はサーベルと短剣を廃止。その代わりとして警棒および、けん銃が標準武装となったのである。
現代の日本警察ではけん銃の選定にあたり、複数の銃種を携帯性や撃ち易さ、それに安定供給と価格などを総合的に検討したうえで実際に配備しているが、当時の物資不足の事情はけん銃についても同じだったようで、詳細な検討をしている余裕はなかったようだ。
一度はアメリカ軍に接収された旧日本軍のけん銃だけでは足りず、アメリカ政府から供与されたコルトガバメント、M1917などの軍用けん銃が混在されつつ供給されていた。
そして警察官の新たな武器として、けん銃とその携行は広く市民に認知され、戦後民主警察の幕開けとなってゆく。
十四年式
結局のところ、アメリカに供給を受けた銃だけでは全警察官へのけん銃貸与充足率に悩まされ、 アメリカ軍が旧日本軍から大量に接収した十四年式も引き渡された。
十四年式は陸軍砲兵大佐であった南部麒次郎が主導で開発、1925年(大正14年)に陸軍で制式採用された。主に下士官、憲兵、空挺兵などが使用していたが、性能の低さから将校には好まれず、旧陸軍における将校は約30種類の外国製けん銃のうちから私費で自由に購入できたため、すでに定評のある外国製のけん銃を各自で調達したという。
なお、南部十四年式といえば東京マルイのエアソフトガンのラインナップに80年代から長らく並んでいたが、国粋主義の強い少年(!?)を除けば、今の若い世代には受けが悪いのか、金型がぶっ壊れたのか、いや、特定の団体からのアレなのか詳しい事情は一切不明だが、2008年ごろに絶版となった。同社製の他のエアコッキングガンであるオートマグ、ルガーP-08もそうであったように、その特異な形状のコッキング機構のため、コッキング作業が致命的であった。それらが理由なのか、当時クソガキであった筆者の周囲でも誰が買っていたのか不明で、14年式はいつも売れ残り、箱は無残にも日焼けで変色していた。
FN ブローニングM1910(Fabrique Nationale Browning Model 1910)
ブローニングは開発者の名。日本では昭和の私服刑事に愛用された名銃でもある。
元・麻薬取締官のアニメ監督として有名な大塚康生氏が、現役マトリ時代に職務で扱っていたという。その縁ゆえか、自身が監督したアニメ『ルパン三世』の主要キャラ・峰不二子に愛用させていたのも、M1910だ。
ハンマーが外部露出せず、とっさの抜き撃ちでも衣服にハンマーが干渉しにくい。重量は570グラムと軽量。日本では戦前戦中に多数輸入され、当時は民間販売もされており、前述のとおり、旧陸軍将校は自費で官給以外のけん銃を自由に購入できたことから、本製品は将校の定番だった。
現在でも田舎の旧家から当時もののビンテージなM1910が、亡き夫や祖父の遺品を整理中に油紙に包まれて発見されることが稀にある。
ワルサーPPK
80年代、当時の総理大臣が、西ドイツへ外遊した際「我が国のワルサーけん銃は優れており、日本警察のけん銃として採用してほしい」と西ドイツ首相に直々に売り込まれたという話をかつて専門誌で目にした。
結果、この”外遊の土産”が警察へ数百丁配備され、警視庁のSP用のみならず、後年は各警察本部へバラまかれており、長野県警察での配備が確認されている。また、このお土産採用のPPKなのか詳細は判然としないが、皇宮警察にも配備されており、皇宮警察本部の公式サイトに女性護衛官がワルサーで射撃訓練をする写真が載っている。
M1917
戦後、アメリカ軍から日本警察へ大量に供与された大型けん銃。昭和40年に起きた少年ライフル魔事件では、逃げる少年ライフル魔に警察官がM1917を向ける姿がマスコミに撮影されているが、後方の別の警察官の持つニューナンブらしき銃と比べても、45口径であるがゆえに、その巨大なシルエットが圧巻だ。
実はM1917にはS&W社製とコルト社製の二種があり、口径や重量などはほぼ共通化されているが、設計は異なっている。
というのも戦中、コルト・ガバメントは各社でライセンス生産されたが、それでも製造が追いつかず、軍がS&W社とコルト社の二社に「40秒でガバメントのドングリ(.45ACP)をリボルバーで使えるようにしな」とドーラおばさんみたいに強く要請。
軍のその無茶振りに対して、両社はすでに自社で販売していた製品を発展開発させた結果、出来上がったのがこれであった。自動式けん銃用の弾丸をリボルバーで使えるようにしたため、不発が多かった。
日本では昭和50年代ごろまで配備していたと見られるが、38口径のチーフをもとに開発されたニューナンブM60、後継のM37などに比べると相当な大きさである。市民感情対策もあったのか、機動隊に員数あわせで使われたのを最後に早々に退役となったのではないだろうか。
コルト・M1903
FN ブローニングM1910と類似した自動式けん銃である。それもそのはず、ジョン・ブローニングが設計し、アメリカのコルト社が製造しており、姉妹関係にある。
典拠元 http://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12067545870.html
コルト・オフィシャルポリス
38口径6連発の大型リボルバー『オフィシャルポリス』は、アメリカ国内では同国の警察史上、もっとも多く納入されたという。
我が国では本来、純粋に都道府県警察用として調達されたけん銃ではなかった。濱田研吾の著書『鉄道公安官と呼ばれた男たち 』によると、JRの前身組織である日本国有鉄道(国鉄)が、独自に有していた司法警察職員「鉄道公安職員」用として配備されていたという。国鉄民営化に伴い、保有していたけん銃は警察へ移管されたとされている。
M10ミリタリー&ポリス
スミス&ウェッソン社の38口径中型リボルバー。その名の通り、軍(憲兵隊)や警察向けのサービスガンとして売り出され、とくに60年代から80年代、全米の警察から大きな支持を得た。
銃身の細いオリジナルモデルや、銃身が太くされたヘビーバレルモデルが存在する。また3インチモデルは法執行機関向けとして警察と連邦捜査局専用品となっていた。M10の3インチのほか、.357マグナムを使う派生モデル『М13』もМ10と共にFBIに制式採用されていた。俗に言う『FBIスペシャル』である。日本警察では戦後まもなくアメリカ軍から貸与された。現在でも日本警察の一部で配備されているとみられている。
余談だが、1981年に公開された日本の映画『駅station』では警察の撮影協力を得ており、実銃のM10の発砲シーンが劇中に登場しているほか、ニューナンブも登場している。
S&W M36 Chiefs special 3inch
1992年に発生した「東村山警察署旭が丘派出所事件」では、何者かに交番の警察官が襲われて殉職し、腰に吊っていたけん銃が強奪された。この事件の情報提供を呼びかける警視庁公式サイトにて「奪われたけん銃」として公表されている銃はS&W チーフス38口径回転式であった。
警視庁が公開している本銃の写真はベークライト(フェノール樹脂)のグリップを取り付けたモデルのようだ。言うまでもなく、M36はニューナンブの開発ベースとなった銃である。チーフの3インチはアメリカ本国でもマイナーである。
コルト・ガバメント
1972年2月19日から2月28日にかけて発生したあさま山荘事件をリアルタイムで知る世代の方々には説明不要だ。当時、山荘に立てこもる連合赤軍の若い犯人らと長野・警視庁両機動隊が銃撃戦を繰り返したが、その当時の警察の装備として、ガス銃とコルト・ガバメントが、テレビ画面に何度も映し出された。
本事件を描いた映画『突入せよ! あさま山荘事件』では、パトカー『ながの1』にて警ら中、犯人らの立てこもりが予想される廃屋を見つけた長野県警機動隊の警察官らは徒歩で偵察に向かうのだが、その際に分隊長の「念のため、弾込めしておくか」のセリフで各員が一斉に銃に弾丸を装填するシーンは興味深かった。分隊長がガバメント、ほかの巡査らは回転式と、当時の実際の配備状況を考慮し、細かな区別をつけた演出だったからだ。
意外と我が国での配備の歴史は古く、終戦直後の自治体警察と国家地方警察の2系統だった時代から配備されていたようだが、配備は全て自治体警察だったようだ。
大型けん銃とよく呼ばれるが、握り具合は日本人でも違和感が少ないものの、ニューナンブの700gに対してガバメントは1077gと重量級。柔道の猛者である機動隊員ならいざしらず、交番勤務員の腰にガバメントが吊られていたら大変な負担だったのではないだろうか。
愛知県警察などは交番勤務員の地域警察官にも80年代まで貸与しており、平成初期までは各地の警察本部でもポピュラーだったようだが、昨今は視閲式での員数合わせでも、もうオモテ舞台に出ることはないのかもしれない。45口径は軍用けん銃弾であることから、数あるけん銃弾の中でも威力が高い。その理由は口径の大きさだけでなく、重い弾頭を低速で射出することで、人体の中を貫通するまでにほぼ全てのエネルギーを使い切るためである。
コルト25オート(コルト・ベスト・ポケット)
25口径の小型けん銃。画像は参考。女性警察官やSPなどに貸与された。威力は32口径や38口径に劣るが、小型軽量のためにアメリカでは女性用の扱いやすい護身用として売り上げを伸ばした。近年発生した『餃子の王将社長殺害事件』で使われたのが、この25口径弾を使用する銃だった。
しかし、小口径ゆえにマン・ストッピングパワーに劣り、反撃の危険性もあることから、SPでは90年代に25口径から38口径に変更されている。
日本警察の旧装備(けん銃編)まとめ
このように、戦後から近代まで日本警察が使用したけん銃を取り上げた。なお、現行配備されているけん銃については以下のページで取り上げている。