現代の映画やドラマで当たり前のように使われているプロップガン(ステージガン)。つまり、実銃を合法的に模した撮影用の小道具としてのモデルガンだ。
日本国内でプロップガンとして使用される場合、単なる発砲シーンのみであれば市販のモデルガンをそのまま流用する場合もあるが、発砲に加えて、人体などへの着弾によるシーンを演出(ガンエフェクトと呼ぶ)する際には、発砲と同時に電気スイッチで対象物にあらかじめ仕込んでおいた火薬を同時に発火させ、着弾を表現できる『電着銃』が使用される。
このエフェクトによって、視聴者はあたかも実銃の発砲シーンを見ているような感覚に没入できるのだ。
【せつなさ炸裂】力が欲しい、愛が欲しい、何かが欲しい、何かじゃわからん。だから一発の……。一丁のニューナンブM60と共に人々は南から北へ駆けた。1988年公開の邦画『リボルバー 』
しかし、それは今でこその話。過去、日本映画界ではこのようなプロップガンが未発達の時代もあった。そのため、撮影において警察当局の協力と許可の下、実物のけん銃と空砲を使用していた例もあるのだ。
高倉健の映画に登場した”ニューナンブ”の正体は
1981年に公開された降旗康男監督、高倉健さん主演の映画『駅 STATION』は不朽の名作だ。
主人公・三上英次(高倉健)は北海道警察本部刑事部の警察官で、けん銃射撃の術科特別訓練員だ。
三上はメキシコオリンピック代表選手として金メダル獲得を期待され、合宿生活と射撃訓練の日々に明け暮れていたが、禁欲的な選手生活に身を持した結果、家庭を顧みず妻子を失う。さらには先輩刑事が手配犯確保の際に撃たれて殉職を遂げた。
三上は本来職務の刑事に復帰して犯人を挙げ、仇を取りたいが、オリンピック代表選手として国民の負託に応えよとの道警上層部の思惑の前に葛藤する。夢破れた三上の刑事人生と女たちとの愛と別れの11年が切なく描かれる。
今でこそ日本で一番悪い奴らと呼ばれる道警であるが、映画公開時は道内各地の映画館に警察官が詰めかけたという。また、今でこそ髪の毛の聖地と呼ばれる増毛町の増毛駅は2016年に廃駅となったが、駅舎自体は観光施設および髪の毛の崇拝施設として残されているほか、駅前の風待食堂も観光案内所として存続している。
さて、本作品ではとてもリアルなニューナンブM60の3インチモデルが登場している点に注目してみたい。ところがこれ、リアルすぎてどう見ても本物にしか見えない。
81年当時、こんなリアルなニューナンブのプロップガンを用意できたのはどこの小道具会社なのだろうか。
当時ニューナンブのモデルガンなど発売されてはいないものの、CMC製M36ベースの『それらしき』プロップガンは存在していたというが……。これはそんなモドキじゃない。
果たしてこのニューナンブのリアルなプロップガン、この映画『駅 STATION 』のために特別に作られたものなのか。
と思いきや、実はこれ、警察の撮影協力で登場した実銃のニューナンブ。
当然、実銃であることから俳優である民間人・高倉健さんが手に持つこと自体は許されなかったようで、アップのシーンでニューナンブを持つのは現職の警察官と思われる。
実際、引きの画面で高倉健さんが銃を構えるシーンでは実銃ではなく、ニューナンブとは似ても似つかない撮影用のプロップガンが使われているのだ。
また、中盤のニューナンブのほか、冒頭の屋内射撃訓練場で高倉健さんが黙々と標的射撃を行っているシーンではミリタリーポリスM10やワルサーの競技銃が画面に登場するが、高倉さんが全身で映る場面はプロップで、発砲シーンで銃と射手の手がアップになるシーンのみ、やはり発砲時の反動からどう見ても実銃。こちらも現職警察官の射撃選手による発砲シーンなのではないか。
ただ、撮影に関しては道警が協力したのか、東京で警視庁が撮影に応じたのか、詳しくは不明だ。
【せつなさ炸裂】力が欲しい、愛が欲しい、何かが欲しい、何かじゃわからん。だから一発の……。一丁のニューナンブM60と共に人々は南から北へ駆けた。1988年公開の邦画『リボルバー 』
昭和30年代ごろの映画では警視庁が頻繁に撮影協力していた
さて、上述の『駅 STATION』における実銃の扱いでは、俳優が実銃を手に持つことは許されなかったようで別撮りだったようだが、実は昭和30年代ごろの映画では警視庁が頻繁に撮影協力しており、撮影には警察用の回転式けん銃M36チーフスペシャルや、自動式のコルト.32オートが使用され、空包(音が鳴るだけの訓練弾)を装てんした実銃を撃つことも俳優に許されていたという。
当然ロケ現場には警察官が立会っての撮影だったという。
当事は日本の映画に実銃が登場するのは珍しくなかった背景があるのだ。
この情報はジャック天野氏公式ブログの記事『日本映画でも実銃が使われた時期もありました』を参考とさせていただいた。
日本初のモデルガン会社・MGCが設立され、日活に小道具としてのプロップガンの製作を打診された同社が製作したのがコルト.32オートを模した電着銃だった。その後、さらにモデルガン会社がいくつか立ち上がって、リアルなモデルガン(当時は金属製だった)が市販されたことから、それをベースにしたプロップガンが発展していったことで、警察の協力も必要が無くなり、日本映画に実銃が登場することはなくなっていった。
そして、警察当局が協力して装備品の実銃が登場した最後のケースが前述の映画『駅 STATION 』(1981年)なのだ。
今では全く考えられないが、昭和の時代は警察の撮影協力も意外とおおらかだったのだろう。打って変わって現代の警察はパトカーの撮影協力にも渋い対応のようだ。これについてはパトカーの劇用車のページで紹介している。